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判断は人からAIへ

私は田舎暮らしです。最近、家の近くのラーメン屋が列を作っています。都会からの道路が整備されたことで県外ナンバーの車が目立ちます。私の今後を心配する妻が、「あなたも引退後はラーメン屋をすれば。でもいくら儲かるのかしら?」と言う。飲食店の難しさと、いつまで働かすつもりなのかと内心思いながら、あのラーメン屋の広さからすると席数、回転数、客単価、営業時間、曜日や季節を考慮するとだいたい月にこれくらい売り上げて原価を引くと…と言うと、文系の妻が怪訝そうな顔で「どうしていつも数字に換算するの。理系の悪い癖」と言う。いや、単に質問に答えようとしただけなのにと思いながら苦笑い。そうか妻からすれば思考プロセスは必要なく答えが知りたかっただけか。反省です。

ところで「フェルミ推定」をご存知でしょうか。論理的思考を試すのに良いとされています。随分前アメリカの大手IT企業が入社試験に取り入れたことや、地頭という言葉とともに話題になった記憶があります。
フェルミ推定とは、とらえどころのない量を幾つかの手がかりから論理的に推論し概算することです。由来は物理学者のエリンコ・フェルミ氏が、核実験の映像からその威力を推定したことからきています。通常は突拍子も無い数字の推定なため、クイズのようにも感じます。例えば「アメリカのシカゴには何人のピアノ調律師がいるか?」等です。
ニュアンスは異なりますが、公務員試験に用いられる数的処理も論理的思考を測る物差しと言えるでしょう。例えば「9枚のコインがある。そのうち1枚だけ偽物。偽物は本物のコインより軽い。天秤を用いて最低何回で偽物を見つけることができるか」等です。答えは最後に書きますのでもしよろしければ考えてみてください。

では、論理的思考がなぜ重要なのでしょう。ビジネスでも何でも判断する場面がたくさんあります。「判断」とは、「分からない時にする行為」とも言えると思います。分かっていれば判断や決断は必要ありません。選択すれば良いだけです。この「分からない」をいかに分かるようにするためには推論が必要です。当たり前です。正しく推定するには論理的な推論と、多くの事実で精度を上げなければなりません。間違った判断は、ことによっては一大事です。アメリカが国家レベルで犯した推論からの判断ミスに、イラクの大量破壊兵器の保有疑惑が記憶に新しいでしょう。イラクは大量破壊兵器を保有していませんでした。
推論は人間ならではの能力と考えられます。重要ですが努力しないと身につかないようです。企業が試験でその能力の有無を判定するのもそのためでしょう。もちろん教育も重要で、歴史を遡るとプラトンは推論能力をつけるには数学が重要だと説きました。ラテン語教育も、言語自体は既に使われなくなっていますが、その難解さと体系から他の言語の習得がしやすくなることと、論理的思考が身につくとされ重要視されています。
ところが、推定には興味深い側面があります。多くの人に同じ問題を推定させた場合、その平均が極めて事実に近いとされています。これは集合知と呼ばれます。詳細は専門家に委ねるとして、大雑把に言うと、推論する人が多く居れば正確な数字を知っている人もいたり、間違いが相殺されたりします。
昨今のビッグデータとコンピュータ技術がこの集合知の役割を果たしはじめています。推定の精度が判断をともなわない選択まで上げられるのならコンピュータで十分です。かえって人間では何らかのバイアスがかかってしまいます。コンピュータに計算させるためのアルゴリズム(手順)とデータがそろったことで、この推定もコンピュータによる計算が可能となりつつあります。特定領域に限れば、既に人間を介せず推定が行われています。例えば東証での株取引の約7割もがコンピュータアルゴリズムによるものだと言われています。また、最近では保険や銀行のレイティング判断も人間に代わって行なってくれます。

当社代表の村上は「判断は人からAIへ」と良く言います。今後人間が面倒だと感じる多くの判断は安価にシステムが行ってくれることでしょう。いや、すでに人間の判断は減っていますよね。だって、コンピュータによるお薦めを選択している時点で、判断ではなく選択になっていますしね。

さて最後に問題です。「日本中でエクボのでる人、何人だ?」答えは……、ゼロ。エクボは、へこみます。お後がよろしいようで。おっと忘れるところでした。先の偽物コイン問題の答えは2回です。ちなみに私は1分以内で回答できました。妻に自慢したところ反応は「あっそ」でした。
そうか妻はそんな能力はいずれ人間には必要なくなると知っていたか…